2013年12月28日
懐かしの地
今から約30年前、北赤羽の荒川土手で「プラチナカップ」というエアーソフトガンによる初のシューティングマッチの定例会が開催されてました。
主催はKENさんです。
スタッフに出二夢さんも居ました。
このマッチが無かったら、今の日本のシューティングマッチは無かったと言っても過言では有りません。
来年はなんと30周年だそうです。
当時は5mの距離から15cmの横一列のプレートを撃つフォーリングプレートから始まりました。
それでも当時の銃では当てるのが精一杯のグルーピングです。
第1回のエントリーフィーは50円でした。
第2回から、お釣りが面倒で100になった記憶が有ります。(笑)
僕は第1回から3年間唯一の皆勤参加者でした。
それから15年以上離れて…改めて復帰した時には、銃の性能は全く別物になってましたが、多くの昔の仲間と再会出来ました。
改めてこの場所とプラチナカップに感謝します。
現在は綺麗に整備されてサイクリングロードが出来、土手の上にはヘリポートまで有りました。
大分変わりましたが、面影は残っています。
何故、改めてこの場所に訪れたかと言いますと…
移動になった職場の最寄り駅となりました。(笑)
主催はKENさんです。
スタッフに出二夢さんも居ました。
このマッチが無かったら、今の日本のシューティングマッチは無かったと言っても過言では有りません。
来年はなんと30周年だそうです。
当時は5mの距離から15cmの横一列のプレートを撃つフォーリングプレートから始まりました。
それでも当時の銃では当てるのが精一杯のグルーピングです。
第1回のエントリーフィーは50円でした。
第2回から、お釣りが面倒で100になった記憶が有ります。(笑)
僕は第1回から3年間唯一の皆勤参加者でした。
それから15年以上離れて…改めて復帰した時には、銃の性能は全く別物になってましたが、多くの昔の仲間と再会出来ました。
改めてこの場所とプラチナカップに感謝します。
現在は綺麗に整備されてサイクリングロードが出来、土手の上にはヘリポートまで有りました。
大分変わりましたが、面影は残っています。
何故、改めてこの場所に訪れたかと言いますと…
移動になった職場の最寄り駅となりました。(笑)